実録!オニ姑の嫁イビリ~第3話 言葉の暴力!嫁をブス、我が家の恥という姑~
ななこと、神尾奈那です。
元夫メタボンと離婚し、今を平和に過ごしている私ですが、離婚するまではきつかった(;´д`)
離婚に至る発端となった、メタ母の嫁イビリをネタにさせていただいています。
今日は、メタ母の言葉の暴力をお伝えします。
嫁イビリは1vs1で
1対1というと、平等に感じるかもしれませんが、なぜこんな流れになったかというと、それは初めての帰省で
『私に逆らったら、何倍にしても何十倍にしても返してやる!』と何度も繰り返し、
最終的にはメタ姉に制止され終息したやりとり。
(だから私は未だに半沢直樹を観るのが怖い(泣))
そこで母が学んだことにある。
※詳しくは第2話をご覧ください👇
実録!オニ姑の嫁イビリ~第2話 結婚式・初めての帰省~ - なな色のにじの橋
初めての帰省で半沢直樹見すぎでしょっ!と突っ込みたくなるくらい
「私に逆らったら、何倍にしても何十倍にしても返してやる!」と名言を吐きまくったメタ母。
それ以降、食卓を囲んでブラックな会話のやり取りはなくなりました。
みんなの前ではね・・・(ノД`)・゜・。
だからこそ、厄介でした。
年に2回程度しか帰省しない代わりと言ってはなんですが、
お盆とお正月の帰省の時はがっつり有休もつけて、実家に滞在していました。
それも親孝行の一つだと思って・・・
メタ実家の皆さんもお休みであれば良いのですが、平日はメタ父もメタ姉も仕事があり、家の中は私たち夫婦とメタ母の3人。
メタボンは、何ゆえ実家なので自由に休みを満喫しており、昼寝する時間さえたっぷりあったのです。
そんな時私はというと…寝れる訳がない!
メタ母がご飯の支度を始めた空気を感じれば、
「手伝えることありませんか?」など声をかけなければいけない気がして。
四六時中こわキャラというわけでもなく、でもいつ怒りスイッチが押されるかもわからなくて、緊張感をキープしなければいけませんでした。
メタ母が嫁イビリをするのは決まって2人きりの時でした。
何気ない会話をするなかで、メタ母は嫁として私が気に入らなかった話に持っていくのが大好きでした。
メタボンはモテた?
まずは結納の時の話。
私には姉妹がいるのですが、結納で我が家(実家)に来たときのことを話したがる。
姉妹の中で、
「あんたが一番ブスでがっかりした。」と。
それで、
「ショックで3日間ご飯がのどを通らなかった。」
そうですか、すみません・・・(心の中で返事をする私)
反論しないと、メタ母はノッてきてしまったようだった。
「メタは中学生の時モテていた。」
だから、
「あんたなんかにメタはもったいない!」
そのもったいない話使い方間違っていますよ!
普通は謙遜するときに
「うちの子にはもったいないくらいの・・・」って使いません?
今だったら、そう言える(笑)
メタボン、決してカッコいい部類ではないし!
この話を友人にすると
「メタってかっこよかったっけ?」
ここに話が落ち着くので、まあその程度のレベルなわけです(;'∀')
そう思っているのは、実母のあなただけですよ!
と、一度くらい言ってやりたかったけど言ったら事件が起きていたでしょう(^-^;
結婚式での悲劇とやら
メタ母が結婚式後のエレベーターで超不機嫌だったところへ話は及ぶ。
あの時メタ父は「親戚が良い結婚式だと喜んでくれた。」と言ったことがとにかく気に入らなかったのでしょう。
自分は息子を取られて腹が立っているのに・・・
メタ母は、
「結婚式の後それはそれは大変だったんだから・・・」
と悲劇を語り始めた。
「親戚一同が私のところに来て『なんであんなブスな嫁と結婚させたんだ!』と責められた。」と・・・
ぶっちゃけ、結婚式のあとで
「お嫁さんがきれいだった」
もしくは「ちょっと残念」とか
「尻に敷かれそうだね」
「あのドレスかわいかったね」
なんて話はよくある話。
でも、それは家に帰ってからする話であって、新郎新婦の親になんて(特に良くない方は)、もちろん言わないし言えないです。
実際問題キレイかブスかで幸せの度合いが変わるわけがなく、人生を折り返すお年頃のおじちゃん、おばちゃんであれば、余計にその辺はわかっているはず。
顔で相手を選ぶような若者がいたら、『美人は3日で飽きる』説を唱えそうな年代だし・・・
私だってそれを鵜のみにしたわけではありません。
ただ、自分が好きになって結婚した相手の親に、そんなこと言われるなんて悲しかった(泣)
絶望的な気持ちになった。
泣きそうになる私を見て、火がついたんでしょうね。
さらにメタ母は楽しそうに話してくれた。
「○○ちゃん(私の姉)と言ったら、親戚は『あ~!姉妹で一番きれいな子ね』って言うの。」
「でね、△△ちゃん(私の妹)と言ったら、親戚は『姉妹で一番かわいい子よね!』って!」
それで親戚みんなが私のことを
『一番残念な子って言う。』らしい。
今なら笑顔で
「そっくりそのままお返しします!」と言って去ることもできるでしょうが、当時まだ20代・・・悲しかったですね。
そして、必死に泣くのをこらえる私にメタ母は言うのでした。
「今のこと誰にも話したらダメだからね。わかってるよね?」と・・・
これ、実話なんですよ(ノД`)・゜・。
こうして、私はメタボンに嘆くことも、実家の家族や友人に相談することもできなく
いつかメタ母の気持ちが落ち着くであろうと心の中にしまっておくのでした。
5年後に事件が起きるまで・・・
反省すべきこと
メタ母が悪いです。
いろんな方、いろんな機関に相談してきましたが、どう考えても子離れできないメタ母は悪い。
ただ・・・私の反省点。
いくら怖くても、
いくら口外してはいけないと一方的に約束されても、
少なからずメタボンには言うべきだったなと。
そして、もっと信頼すべきだった。
だって夫婦だもん。
これからいろんなことを乗り越えていかなきゃいけない新婚さん。
いちばん信じて頼りにするべき相手は、メタボンだったと思う。
たとえ結果が同じでもそうするべきだったと思うのでした。