なな色のにじの橋

結婚・妊活・子育て・離婚。いろんな経験でゲットした生きるヒントを私らしくお伝えするブログ(*‘∀‘) ねっ!幸せのにじの橋を架けようよ!

実感のないまま2年経過しました

2年前の2月に母が他界しました。

 

もし、家族みんなが同じ歳まで生きるとしたら、

親の死が先に来ることは当然ですよね。

でも、良くわからないけど、

親っていつまでもいるような気がしません?

 

年齢を重ねるごとに病気について他人事でなくなってきましたが、

若い頃は親が病気になることさえ現実としては考えられなかったです。

 

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だから、母が大腸がんになった時はショックでした。

 

50代前半で大腸がんを患ったものの無事復活!

 

次なる試練はちょうど10年後で悪性リンパ腫に…

苦しかったでしょうが、

エネルギッシュでポジティブな母は、

再び元気になってくれました。

 

それからまた10年。

 

悪性リンパ腫は再発率が低いらしく、

母はもちろん、家族みんな、

10年ごとに母を襲う大病ですが、

この年を凌げば何とかなる気がしていました。

 

ドクターにも、この検査を最後に一区切りつけましょうと言われました。

 

期待と裏腹に、そう言われた検査で再発がわかり、半年後に他界したんですよね。

 

今思えば、積極的に治療しない方が長生きできたのかな?と思うこともあります。

 

特に体調が悪いわけでもなかったし。

 

でも、母の性格上、「治してみせる」が勝ったのでしょう。

 

 

去年、今年と、本来なら法要すべきなのでしょうが、母には申し訳ないけれどコロナで断念せざるを得ませんでした。

 

帰省が激減しているせいなのか、

未だに母がいなくなった気がしない私。

 

受け入れたくないのとはまた違う気がします。

 

1人になった父が心配で、しょっちゅう電話をするのですが、

時々「お母さん、何してるの?電話代われる?」

なんて、聞きそうになっては慌てて呑みこむこともしばしば。

 

これって何なんでしょうね?

 

先日、姉が言っていたのですが、しばらくの間

「母がいなくなったと思うと、悲しくて涙が止まらなかった」

と言っていました。

 

私って冷酷人間?

単なる鈍感?

 

ただ、亡くなる前日、

病室で母を囲んで取った写真を未だに見れない。

 

現実逃避なのかな。

 

自分の気持ちがよくわからないのですが、

家族だからこその何かが私の中に宿っているのかもしれません。

 

私も含め、誰しもいつかは最後を迎えるのですが、

生きる気力を取り戻した父には、母の分も長生きしてほしいと願っています。